ある時、自然環境保全を考える市民の会合に参加した。
市役所職員も説明に参加。一人の参加者が、
「緑地を守ろうという府中市の対応は本気とは思えない」
「近所の屋敷林がある家が相続で売られてマンション化される。あんなのを許していいのか。娘と季節の移り変わりを楽しみにしていた」
と。はてさて、嘆息。
個人資産の売買に行政が関与できない、なんてぇ常識も知らないことは置いといて。
何で相続税が払えない?
高いから。土地評価が高い。マンション建設できるほど。回りが便利だから。
学校が近くで、病院が近くで、駅が近くで、スーパーが近くで。要は、人がたくさん集まっているから。
その一人が自分なんだ、とは考えない。
自分だって、便利だから住んでいる。相続税が易々払えるような辺鄙なところに住めばいい。
「季節の移り変わりを楽しむ」、風流な話しだが、全部受け身。
落ち葉掃きが大変だから、お手伝いしようか、なんてぇ関わり方は考えない。
何でも、行政が社会が他人が準備してくれる?
もし、落ち葉掃きを手伝うボランティアの会でも作れば、所有者も何とかしようと考えたかもしれない。世話が面倒な屋敷林でも社会に貢献していることがわかれば、気持ちも変わる。
商業再開発もそうだが、開発が進むと固定資産税が増える。府中市では、一般税収がどんどん減っているが、固定資産税がどんと増えた。しかし、開発が止まれば、固定資産税は着実に減少していく。
「だから開発すべき」ではなく、税収が落ちていくことは必然だという覚悟が必要。そこに介護保険のような絶対増加する追加支出。
ほんで、役所や議員が言う「何でもいいことづくめの町作り」はどうやって出来る?
今だ、一部グループが発行している「市民税は減っていないのに福祉カットを市民に押し付ける」とかいうチラシを見ると、またまた嘆息。
その人達が緑を犠牲にした開発に反対してきたことは評価できても、その開発のおかげの固定資産税で市民税のレベルが保たれていることを市民に正しく伝えない、てぇのは衆愚政治。保守と変わりない。