大麦について書こうと思って調べていて、また脱線。
以前、大日本帝国時代の海軍と陸軍の違いを読んだ。それは、
「脚気」
海軍が麦飯だったのに、陸軍は白飯。
そのために、陸軍は脚気に悩まされ、多数の兵隊を失った、と。
まずは、脚気について。
江戸時代から明治にかけて、上は徳川家の将軍から、江戸詰めの武士たち、そして明治の軍人と、多数の患者がでて、「国民病」でもあった、脚気。
ひどくなると、命にかかわる病気。
現在では、ビタミンB1不足による病気というのはわかっているが、明治時代は、伝染病という説もあり、また、西洋の食事では脚気が少なかったこともあって、西洋医学でもなかなか原因が特定できなかった。
以下サイトから
第9回:明治の「食」のスキャンダル―脚気論争― |「食育」の先駆者・村井弦斎
「脚気は白米を多く食べるアジアで発生し、西欧では少ないため、当時の西洋医学には治療法や特効薬が存在しませんでした。その結果、大勢の日本人が脚気で命を落としていました。」
「現在でこそ、脚気はビタミンB1の欠乏症であることがわかっていますが、村井弦斎が『食道楽』を執筆した20世紀初めは、栄養素のなかで、まだビタミンそのものが発見されていませんでした。こうした事情から、脚気は明治の日本で、難病として非常に恐れられていたのです。」
「脚気患者が増えたのは、人々の生活水準が向上した江戸時代(※)からだと言われています。しかも、地方ではごく少なく、大都市・江戸に多く出現したことから「江戸わずらい」とも呼ばれ、一種の贅沢病とも見られていました。地方の住民は普段、麦飯しか食べていなかったのに対し、江戸の人たちは麦を混ぜない米飯を食べていたので、脚気は白米が体内で腐るのが原因ではないか、という説もありました。」
※生活水準というのはあたらないかもしれない。古墳時代以降、明治になるまで、日本人の身長は低くなっていたのだから。むしろ、江戸では精米技術の向上で、精白度が上がり、ヌカのついていない銀シャリを食べられるようになったからというのが、正しい解釈。
「一方、この“白米原因説”を頭から否定した人々がいます。当時、日本ではドイツ医学が主流で、東京帝国大学医学部を頂点とする学閥社会でしたが、その医学者たちが“脚気伝染病説”に固執したのです。陸軍軍医総監にまで上りつめた森林太郎もその一人でした。筆名は「鴎外」。『舞姫』や『阿部一族』などを書いたことで有名な作家の森鴎外その人です。」
そして、陸軍は、森鴎外 vs 海軍は高木兼寛(かねひろ)という対決図式の中で、この話は展開していきます。
以下サイトから
「高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(ちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果、西洋食の艦において脚気患者が出なかった。」
「このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は不評で麦飯に海軍の食料は変更された。」
「しかし、高木の脚気原因説(たんぱく質の不足説)と麦飯優秀説(麦が含むたんぱく質は米より多い麦がよい)は、原因不明の脚気の原因を確定するには、根拠が少なすぎ、医学論理が粗雑すぎた。」
「このため、東京大学医学部と陸軍軍医部から批判された。」
「日清戦争とその後の台湾平定戦で、陸軍の脚気患者が急増し、海軍軍医が陸軍を批判したものの、学問上の疑問点を挙げて反論されると、海軍軍医も沈黙した(ビタミンを知らない当時の栄養・臨床医学では説明できなかった)。」
「海軍の兵食改革(麦飯支給)に否定的な陸軍は、日清戦争のとき、大本営陸軍部で野戦衛生長官をつとめる石黒忠悳(陸軍軍医総監)や軍医部長の一人森林太郎(森鴎外)などが科学的根拠がないとして、麦飯の支給に反対した。」
「最終的に陸軍の脚気患者は、日清戦争とその後の台湾平定戦をあわせて数万人、病死者は4,000人と伝えられている。戦死者は300人で戦死者より脚気で病死した兵士のほうが多かった。」
日露戦争でも、
「最終的に陸軍は約25万人の脚気患者を出し、うち約2万7,800人が病死した。まさに脚気惨害である。」
「ちなみに、日露戦争の戦死者は約4万7,000人。ただし、戦死者中にも脚気患者が多数いるものと推測される。」
「昭和期に入っても1938年まで、国民の脚気死亡者数が毎年1万人から2万人の間で推移していた。」
■かっけの再燃
「1975年には脚気が再燃した。原因には砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードがある。」
陸軍と海軍の相克というのは有名だが、こんなところにもあったのか?
それにしても、英国をモデルとする薩摩系のあくまでリアルな、
つまり理屈ではなくて、現実対応する海軍と、
ドイツをモデルとする長州のあくまで観念的な取り組みの仕方が
こういうところにまで影響しているのかという見本みたいなもの。
昔、お医者さんで、膝の下をコ~ンと叩かれた経験があるくらいの、脚気知識だったが、大麦のことを調べていて、また一つ新しい知識でした。